700年近い歴史を持つ老舗の物語

堺を代表する和菓子といえば、やっぱり「かん袋」のくるみ餅。
私自身、堺で生まれ育ったこともあり、子どもの頃から何度も食べてきた馴染み深い味です。
現在では、夏になると「氷くるみ餅」を求めて多くの人が訪れる人気店ですが、実は「かん袋」の歴史は鎌倉時代末期までさかのぼります。
今回は、そんな「かん袋」と「くるみ餅」の歴史を調べてみました。
1329年創業。「かん袋」の始まり
かん袋の歴史は、鎌倉時代末期の**元徳元年(1329年)**に始まります。
和泉屋徳兵衛が「和泉屋」という商号で、餅を専門に扱う「御餅司」の店を開いたのが始まりとされています。
つまり、現在の「かん袋」は、約700年近く続く老舗ということになります。
堺の町の歴史とともに、長い年月を歩んできたお店なんですね。
豊臣秀吉と「かん袋」の名前
秀吉の大阪城築城と堺の商人
時代は安土桃山時代。
豊臣秀吉が大阪城を築城した際、堺の商人たちは「納屋衆」と呼ばれていました。
秀吉は、そんな堺の商人たちに多額の寄付を求めたといわれています。
その後、文禄2年(1593年)の春頃、桃山御殿の完成を機会に、秀吉は寄付をした堺の商人たちを招きました。
屋根へ次々と投げ上げられる瓦
その当時、大阪城の天守閣はまだ瓦を葺いている途中でした。
暑い日差しの下、職人たちは蟻が餌を運ぶように、一枚一枚瓦を運び上げていました。
その様子を見ていたのが、当時の和泉屋の主人、和泉屋徳左衛門です。
工事がなかなか進まない様子を見た徳左衛門は、毎日奉仕に出かけるようになりました。
そして、餅作りで鍛えた腕力を使い、瓦を取っては次から次へと屋根の上へ投げ上げたといいます。
すると瓦は、春風にあおられた紙袋が舞い上がるように、次々と屋根へと上がっていきました。
そのあまりの力強さに、そこにいた人々は驚きました。
秀吉が名付けた「かん袋」
この様子を見た豊臣秀吉が、
「かん袋が散る様に似ている」
と、その腕力を称え、
「以後、かん袋と名付けよ」
と命じたと伝えられています。
こうして、それまで「和泉屋」と呼ばれていた商号が、**「かん袋」**となったとされています。
現在まで続く「かん袋」という名前には、豊臣秀吉にまつわるこのような逸話が残されているんですね。
くるみ餅の誕生
明との貿易で栄えた堺
「くるみ餅」が誕生したのは、室町時代の中頃とされています。
当時の堺は、明(現在の中国)との勘合貿易の港として大きく栄えていました。
その頃、5代目の主人である和泉屋忠兵衛が、明から入ってきた農作物を利用して、新しい茶菓子を作り出しました。
農作物を塩味で挽き合わせて餡を作り、その餡で餅を包んで食べるお菓子です。
餅を餡で「くるんで」食べることから、
「くるみ餅」
と名付けられたとされています。
ちなみに、名前に「くるみ」と付いていますが、一般的なナッツの「胡桃(くるみ)」が使われているわけではありません。
砂糖が加わり、現在の味へ
その後、ルソン(現在のフィリピン)から砂糖が輸入されるようになると、くるみ餅にも甘味が加えられました。
こうして、現在の「くるみ餅」へと発展していったとされています。
海外との貿易で栄えた堺の歴史が、今も残る名物和菓子の誕生につながっているというのは、なかなか興味深いですね。
夏の名物「氷くるみ餅」の誕生
時代は進み、明治時代。
製氷技術が日本に伝わり、氷を作ることができるようになると、くるみ餅にかき氷をかけて食べるようになりました。
これが現在の、
「氷くるみ餅」
です。
冷たいかき氷の下には、いつものくるみ餅。
氷を食べ進めていくと、濃厚な餡と餅が現れます。
暑い夏にぴったりのこの食べ方は、明治時代から続いているんですね。
当時から夏になると、涼を求めて多くのお客さんが店に訪れ、行列ができていたといわれています。
堺の歴史とともに受け継がれる味
鎌倉時代末期の1329年に創業した「かん袋」。
豊臣秀吉にまつわる「かん袋」の名前の由来。
明との貿易で栄えた堺から生まれた「くるみ餅」。
そして、明治時代に誕生した「氷くるみ餅」。
そう考えると、いつも何気なく食べていたくるみ餅の一杯にも、堺の700年近い歴史が詰まっているんですね。
子どもの頃から食べてきた、かん袋のくるみ餅。
昔と比べると、ずいぶん値段も高くなりましたが……💧
それでも、夏になるとやっぱり食べたくなる。
私にとっては、そんな堺の思い出が詰まった味です。
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